ふみのつれづれ日記

 

 

伊 藤 ふ み の つ れ づ れ 日 記

 

 

 

 






伝 言 板



 

 

 

 

 



2006年8月11日 脳梗塞発病以来の記録

参考になれば幸いです。


パソコンリハビリ④
2011年7月 ザザ中央館パレットにて麻痺の左手を右手で
正常な右手を左手でマウスで描く

フリーソフトのGIMP使用・末端を動かし、その動きがパソコン画面に
かなり動きが良くなりました。

発病より7年間のリハビリ推移記録


2006 59歳 発病 リハビリ ① 通院
2007 リハビリ ② 移る
2008 高血圧
2009 リハビリ ③
2010
2011 ポリープ リハビリ ④
2012 狭窄症
2013 リハビリ ⑤
2014 現在 67歳


リハビリ 推移

リハビリ ①

2006/8/11/2:00

吉祥寺事務所にて深夜左手、左足、様子がおかしい、だんだん動かなくなる。
昨夜、ホテルのラウンジで急に立ち上がることも、うごくことも出来なくなったあの恐怖が襲う、
無理して、東名飛ばして来たのがまずかったのか、
事務椅子に何とかすわり呆然となる、右にカゲロウの柱が見える。これが死か。
いいかげんで、不摂生な生活の報いか、酒、煙草5箱/日 覚悟する。
AM 7:00 五日市街道、車の動きの音に未練ごころが、あたまをよぎる。
友人に電話する、酔っていると思われ相手にされず、浜松の友人が状況把握し、手配してくれる。

AM 9:00 救急車にて大学病院入院
三日間 酸素マスク・点滴・寝返りできず、汗だく、意識朦朧。
三日後 初めて水飲む めちゃくちゃ美味い 死に水もこうだといいな
車椅子での生活、ベッドの囲い、トイレの引率、起立の報告

リハビリ①-1 「 動かす 」

5日程すぎ 少し落着いた頃 優しそうなお母さんベッドの傍に
舌をだしたり、舌で指を押したり、いろんな指示受ける 40分程度 毎日
発病以来 ヨッタヨウウナ言語 (自分では気が付かない)
頭で決めた言葉が 実際言語として発生するまでの時間に距離を感じた感覚が少しづつ治る
以前は、対面会話はまだいいが、電話会話だとかなりおかしい
特に 時差の指摘を受けると ますますひどくなる 覚悟して 軽く受け流すに限る
大学1ヶ月入院中 3週間言語リハビリ受ける 言語障害克服 感謝

「 シャベル 大きく 小さく 口を 舌を うごかす 会話する 無理してもなるべく早期に 」

会話をするとは 複雑な筋肉の動きと 的確な指示系統が必要 そして集中力
9月に浜松の施設に移動して 40日入院 そして 通院
ほとんど会話の機会なく2ヶ月 友人より 言語がかなりおかしい と指摘受ける
何か 大きな声で 読みあげるよう アドバイス戴く
なぜか お経 と頭に浮かぶ
偶然 32分 4500文字のお経のCD手に入れる
CDに唱和始する すぐに効果感じる 顔の筋肉 神経の位置が少しずつ 確実に 変化する

「 言語障害 失語症の気配感じたらすぐに お経を唱和する 毎日大きな声で15分以上 」

事実です。

リハビリ ②

 
リハビリ②-1 「 出かける 」

2007/2 障碍者パソコン教室mmc紹介戴きザザ5Fパレット訪問し利用登録する。
歳を重ねると たいてい だんだん汚くなる まして後遺症で半身不自由の身 みっともない
病院内では あちこち皆同じようなもの あまり気にもしなかった 社会に出てヒシと感じる
多少、いや大変みっともなくても 外に出よう 自分で気にするほど だれも見ていない
外に出るということは、施設のリハビリを受ける ことではなく 街に出ることです
初めて乗るバスの怖さ、変な子供に指差され その親の薄笑い それを超える リハビリです
杖で歩けば そっと道をあけていただく それは特別なのです 特別は普通ではない
みんなそれぞれの都合で歩いているのです 道をゆずったり ゆずられたり それが普通です
普通は継続されるが 特別は継続は困難 だから特別なのです 普通 あたりまえが大切です
施設で受けるリハビリは 時々お互いの時間つぶし 馴れ合い と思う時があります
治す いつまでにどんなふうに イメージする そして実行する
脳梗塞 後遺症に お百姓と乗馬が一番だ といいます
いろんなリスクがありますが 何か納得出来ます あたりまえをあたりまえに

「 治す ぜったい治す 強い意志を持つ 」

「 いやでも 街に 人前に、どんどん出かける 」


リハビリ ③


リハビリ③-1 「 見つける 」

2008/12 週3回のリハビリ 親切なインストラクターの方より、定期診断すすめられる
12・5 診断受ける、血圧はかるが、何度やってもエラー
看護婦さん 手動に変える 下が 210 上が 260 「何ともないのですか」
宇宙人を見つめる視線で質問される、ソー言われると 少し不安
とにかく 180 以下になるまで 診断室で安静
3時間程度経過しても 200前後 そのまま入院 3週間 不安の毎日
ベッドで約束する 世の中に役立つことを 見つけて 実行するから 血圧下げて
いろいろ さがしてみました びっくりしたのが俳句でした
俳句をじっくり読むと 死の恐怖を超える 痛さを超える 激しさ 静けさ 見えてきました
・ すすきのに 心も身をも ゆだねたし ・ よく見れば なずなはなさく かきねかな ・
本棚、押入アチコチさがして読みまくる、ラジオ深夜便 大変参考になる お経との共通点感じる
そして 好きで触っていた パソコン 片手 片目 あれば 十分勝負できる
全盲の人も いろんなソフトで達者に動かす
大切なのは パソコンに何を手伝わせるか 何をさせたいのか です
したいことと できることとは 最初は同じではないと思います
出来ることを こつこつやる

「 リハビリは回数・量ではなく いかに丁寧に しっかりやるかです 」


リハビリ ④


リハビリ④-1 「 つ く る 」

2011/9/15 忘れられない日 5月の定期検査で、貧血してきされ 胃カメラ検査、内視鏡検査と
3ヶ月以上あれやこれやで夏を過ごす。何か食事後に違和感を感じていた。大腸ポリープ7個、その中1つ
癌の恐れあり、形状からおそらく癌でしょう、かなり進んでいますよ。いづれにしても摘出します。
高血圧の薬やく40日止めて、摘出手術受ける。最後7つ目のポリープ取れました との看護婦さんの声、
なぜか全身に爽快感が充満する。しかし後日医師より、細胞検査行うので、2週間後結果報告します、
おそらく癌の可能性大いに有 ショック あの爽快感はなんだったのか。そして2週間後の 9・15
いくらさがしても 癌はみつからない よってこの件は解放します。 ありがとう うれしかった。

生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉  漱石
記念に 2011/9/15 より 年末までのカレンダーつくる。なんだかんだで1年分作る。
ラジオ深夜便の5年分を基礎資料に マウスで 花 歌(俳句) を 描く しんどかった。
ただ読むのと違って、漢字を覚え、季節を感じ、選ぶ苦しさを知った。
当時の 花の絵・句の書体 なんとも生きている 喜びが 溢れている それが一番大切

「 とにかく なんでもいいから つくる しあげてみる 」


リハビリ ⑤


リハビリ⑤-1 「 チャレンジ 」

形あるものは、いつかその形が終わる 何かつかもうとすれば 今持っているものを放す
目だけ 欲しがっても つかめない あるのは 挫折感とストレスだけ
いま 動くものを 動かす 歴史を 過去を 素直に対峙する
そして 今日に チャレンジ する
杖・装具 必ず 必ずつけての生活を指導されてきました
杖を 傘に変え なるべく装具を はずして 訓練してきました
2013年9月 7年記念に 装具をどんな時もつけない 決めました 不安でした
3日で自信を 無理にでも 持ちました
狭窄症・きょうさくしょう・で右足に痛さ、しびれが発生したとき、後遺症の左足とで5歩でも大変でした
今歩かないと、歩けなくなるよ 友の忠告 朝 夜 1mmでも動かす 丁寧に しっかり
現在 みんなの体操 6:25 毎日 エネルギー戴いています
パソコンに html.css.php.javaとか色々数千あるみたい 大切なのは何処にあるか それを知る
そして組み合わせる  だれに 何お 何故 伝えたいか 具体的にする 
苦しくとも自分のオリジナルを持つ 生きてる証だから

「 障害経験者が 経験者の視点より リハビリサポートの仕事をする 」

① 還 暦 リハビリ 本 音 絵 本

「 チャレンジ 闘う姿勢を保つ 」



こころ・体の動き
2006.8.10 AM 1:00
ホテルカウンターにて変調「体動かない」
席を立とうとしたが動かない、ゾー5分でなおる。
杏林大学
8:10 AM 6:00
車にて浜松より東京へ 最新設備による、充実治療システム
業務終了、サウナ行く、何か変 リハビリサポートシステムの徹底
リハビリ室に対する興味
PM 10:00 言語リハビリサポートは素晴らしかった
事務所にて仮眠 処置が速く、的確、わかり易い。

8:11 AM 2:00
左半身動かず、どんどん変になる。 患者は、何か希望要因を捜す
事務机にて呆然 不安要因に敏感
原則長期にても三週間入院
8:11 AM 8:00
救急車にて三鷹杏林大学に入院
三日間酸素マスク、点滴、寝返り出来ず汗まみれ
四日目始めて水飲む「美味い」

杏林大学 8.11-8.31
車椅子生活、ベッドの囲い、トイレの引率、起立の報告
歩く訓練
初めての立ち上がり、頭クラクラ大変怖かった。
左足丸く固まる・左手なかなか動かず、
言語、リハビリのおかげ、日増しに良くなる。
当初、酔ったような発音、考えた言語が発声するまでの時差認識、
指摘されると、時差はげしくなる、失語症の傾向か、
ベッド脇でのリハビリ、口、舌動き滑らか、感謝。

2006.8.31
車椅子タクシーで、浜松リハビリテーション病院に移動 浜松リハビリテーション病院
主治医面談
「当病院は、リハビリ、社会復帰が原則の病院です。 体育館なみの施設
社会復帰の可能性ない方は、他施設に移っていただく。」 午前、午後、決められた内容で徹底していた
たくさんのインストラクター、患者、活発で元気いっぱい
不意の発病、気弱になっている自分には、随分つらかった。 現在見る影なし、何が原因か
看護士の優しい言葉が救いだった。 人と金とシステム、組織の問題か

浜松リハビリテーション病院 8・31-10・6
午前10:00-11:30 生活訓練 浜松で一番の施設と思う
午後1:00-4:00 歩行訓練 とにかく明るく、清潔、広い
車椅子・装具つけての毎日・ある意味充実した日々 仲間がいっぱい意識にて素晴らしかった
左手少し動く、左足、装具無しでは、丸まってギクシャク それだけに継続していく大変さを思う
立ち上がるリ150回・薬朝夜15錠

2006.10.6 自宅療養
浜松リハビリテーション病院 通院 週2回
バスによる通院・最初かなりバス怖い 障害者手帳3級いただくが具体的には、バスが半額
病院出ることによる、開放感と自己努力の意識が生まれる。 一人住いなので、掃除、洗濯、料理等生活一般ひとりでこなす
一人の生活による生活努力は刺激になるが、 最初かなり大変、なれると結構楽しい
会話がない為、言語がどんどんおかしくなる。 一人暮しは、気楽だが、、失語症、認知症の可能性あり
もつれる、時差がはげしくなる。 自宅前の空地で、立上りリハビリ行うが、団片的
友人助言により、声を出して本を読む、 自宅介護予備軍として高齢一人住いではないので
具体的にお経の「CD 40分」唱和することで、その日の内に解決。
今日まで4年間毎日続ける。言語良好感謝。 人間一人でも生きて行けるが、そこに生活、意味がない

2007.2
障害者パソコン教室「パレット」紹介いただく。
毎日通勤し、パソコン技術磨く。
各方面の紹介頂く。
NPO・福祉・ボランティア・行政分野等。

2007.6
浜松リハビリテーション病院打ち切り、浜松南病院通院。
検診により薬すべて中止。
後遺症リハビリ週2日、1回30分程度。

2008・6
南病院先生より指示
「治ることを確信する。」
「絶えず患部、左半身を意識し、動きは健康右半身をイメージする。」
「リハビリは回数・量ではなく、いかに丁寧にしっかりやることです。」

2008・10 浜松南病院
検診による血圧要注意の指摘。
3年近く、リハビリで通わせて頂いています
2008・12 当初、主治医の「治ることを確信する。」
血圧「210-260」緊急入院 入院2回25日。 日々の生活で、気弱になったり、人、物のせいにして忘れがちです
この辺が峠のようでした。
仲間がいる
2009・8 平等に競争する
検診通院40日1回・後遺症リハビリ週1回 介護する人、介護される人
地域、年齢、性別、障害程度
2010・7 すべてを俯瞰して活動する
下肢装具、軽い装置に変更、「かなり快適」

2010・9
現在に至る
市内各所活発に動き回る。

 

岡田さん短歌です

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

季節のお料理 みんなで楽しく会食です

 

日時 伝言内容 備考
11月16日 定例編集会議 交流センター
12月21日 定例編集会議 交流センター
1月1日 1月号 音声マガジン・おしゃべりカフェ発刊